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日本における企業広報の歴史

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日本における企業広報の歴史的展開は、1940 年代後半における広報導入期を経てから段階をたどって変遷してきたとみることができる。第1段階は、朝鮮戦争の勃発を契機に特需景気が発生した 1950 年代前半を指す。この段階では、電波メディアの出現にともない、産業界をはじめとするさまざまな組織体において広報意識が高まるなど、「広報啓蒙期」として考えることができる。

(1950年代半ばから1960年代まで)-高度経済成長期と「広報成長期」

1950年代半ばから1960年代にわたる高度経済成長期産業界の急成長にともない、広報部門の設置やマーケティング型広報の導入が展開されるなど、「広報成長期」として考え
ることができる。1950年代半ばから1960年代にわたって、日本は高度経済成長期を迎えたといわれる。たとえば、1950年代半ばから「三種の神器」といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機を中心に「第1の消費ブーム」が起き、1960年代半ばから「新三種の神器㧔3C㧕」といわれる自動車、カラーテレビ、クーラーを中心に「第2の消費ブーム」が起きた。
こうしたなか、1953年に日本航空、1955年に東京ガス、1956年に松下電器㧔現パナソニック㧕、1958年に三菱電機、1960年に日産自動車、1965年にトヨタ自動車、等々の企業が次々と広報部門を設置し、産業界における広報活動への取り組みが本格化し始めた。1957年11月に松下電器㑐連記事「地球上14億の女性の中からたったひとりえらんだあなたの奥様」、1959年9月にソニー㑐連記事「トランジスタ物語」などといったマーケティング型広報活動が展開され始め、広報対象には、商品のほかに、企業沿革や経営方針、生産技術や経営実績なども含まれることとなった24。さらに、マーケティング型広報の需要度が高まるなか、広報コンサルティング会社㧔PR会社㧕も次々と誕生してきた。たとえば、1957年に知性アイデアセンター、1960年にコスモ・ピーアール、1961年に電通PRセンター、1966年にサン・クリエイティブ・パブリシティといったPR会社が誕生し、産業界とメディアの間の重要な架け橋となってその活躍を広げていた。

(1970年代)

高度経済成長期に発生した公害問㗴などの企業不祥事や、二度にわたるオイルショックを背景に、実業界や学術界において企業の社会的⽿任に㑐する議論がなされてきた1970年代

高度経済成長期において、イタイイタイ病や水俣病などの産業公害をはじめ、環境破壊問題、有害薬物問題、欠陥商品問題、等々の企業不祥事が露になった。これは、マスコミをはじめとする日本社会の企業批判を招き、実業界や学術界において企業の社会的責任が議論されるようになった。たとえば、実業界では、1956年にすでに経済同友会による提言「経営者の社会的責任の自覚と実践」、1973年に経団連定時総会における決議案「福祉社会を支える経済とわれわれの責務」、といった数々の提言がなされてきた。
1960年代の成長期を経た広報分野も、その重要性の再認識と広報活動のあり方の検討がなされたとみることができる。その代表的な動きとして、1978年11月に「社会の声に積極的に耳を傾け、そのニーズを把握するとともに、日本経済の現状、企業の役割等について理解を得るための広報活動を行う」ことを趣旨として設立された経済広報センターがある。このセンターは、今日もなお、社会における企業の役割に対する理解の促進や政府の経済政策に㑐する提言など、社会との対話を積極的に図り、経済界と社会の架け橋として重要な役割を果たしている。

(1980年代)

日本的経営の強みが強調され、企業のグローバル化が展開されるなか、広報活動も多様性を持ち、海外広報も展開されるなど、「広報成熟期」として考えることができる。
日本的経営として、従来の「終身雇用」、「企業別組合」、「年功序列」などが世界の国々に知られていた。また、高度経済成長期に消費ブームを起こした電器製品や自動車産業の
ほかに、「ハイテク景気」と呼ばれる半導体やコンピュータなどの先端技術産業も日本の景気をリードし始め、実質経済成長率が1980年の2.1%から1988年の6.3%まで成長した。
こうしたなか、新聞、雑⹹、テレビ、ラジオといった4大メディア産業は成熟期を迎え、それにともなって、産業界ではコーポレート・アイデンティティの取り組みが始まった。CIは、自社の経営理念や企業活動を社会に伝えることにより、社会に信㗬され、
よいイメージが創出可能な活動のことを指し、これが広報成熟期を導いた1つの契機となる。

(1990年代)

バブル経済が崩壊し、企業不祥事が続発するなか、企業の社会的責任、と
りわけ企業統治㧔コーポレート・ガバナンス㧕が議論され始めた1990年代

バブル経済が弾け、企業不祥事が顕在化するなかで、広報の社会的責任に対する⹺識や考え方の再検討など、「第2次広報反省期」として考えることができる。
1990年代に株価や土地価格の暴落にはじまるバブル経済の崩壊にともなって、価格カル
テル、入札談合、不正融資、粉飾決算、インサイダー取引、利益供与などの企業不祥事が
後を絶たなくなった。企業経営を監督・監視する意味での企業統治が脚光を浴び始めたといえ
る。企業経営を監督・監視する意味での企業統治が脚光を浴び始めたといえ
る。それは、1990年代における一連の㑐連法規改正と企業統治改革の提言などからも明ら
かである。

企業広報も新たな方向性に向き始めたといえる。それは、広報の社会的責任の意識であり、その契機となったのが1991年9月に経団連が取りまとめた「経団連企業行動
憲章」である。この企業行動憲章は、①企業の社会的役割、②公正なルールの遵守、③経営トップの責務の3つに分類され、第1分類の7項には、「広報・広聴活動等を通じて常
に消費者・生活者とのコミュニケーションを図り、企業の行動原理が社会的常識と整合するよう努める」と規定されている。このことから、まず、企業が社会的役割を果たすに
あたって企業とさまざまな利害関係者とのコミュニケーション活動が非常に重要であり、それを担うのが企業広報であること、つぎに、企業広報を行う際に必ず公正なルールを遵
守すること、さらに、企業広報の⽿任は最終的に企業経営者に求められること、の3点が強調されたと考えられる。

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